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​​救いの証し

教会に行き始めたきっかけ

 私は、ノンクリスチャンホームで生まれ育ちました。進学した高校が、大阪にある桃山学院高等学校という聖公会の学校でした。聖書の授業があり、礼拝レポートの課題が出されたことがきっかけで、初めて教会に行きました。

 その当時、慕っていたお兄さんがいて、そのお兄さんがクリスチャンだということを知っていたので、そのお兄さんが通っていた日本基督教団大阪のぞみ教会に連れて行ってもらいました。教会に行く前は、教会は「暗い場所で、弱い人が行く場所」だと思っていました。しかし、実際に礼拝に出てみると、そんなことはなく、とても明るく、温かく居心地がよく、また来たいと思える場所でした。それから不思議なことに、毎週教会に通うようになりました。

 

キャンプの中で向き合わされる

 翌年の春、教会の青年会のキャンプに参加しました。そのキャンプのテーマは「祈り」でした。そこで何を語られたのかは、忘れてしまいました。しかし、そのキャンプで神様と向き合わされ、生まれて初めて一人になりたいと思い、一人になる中で、自分の人生と向き合わされ、一人で泣いていたことを覚えています。そのキャンプが終わると、それまで全く聖書を読まず、祈ることもしたことがなかった私が、毎日聖書を読み、祈るようになりました。毎日聖書を読み、祈る中で、私は少しずつ神様を信じたい、バプテスマを受けたいと思うようになりました。

 

映画パッションを観て

 2004年の春に、パッションという映画を映画館で鑑賞しました。私は、それまで聖書を読んだり、メッセージを聞く中で、イエス様の十字架の話を知っていました。

 しかし、私は聖書を読んだだけでは、どこか自分とは遠い存在でしかなく、全くの他人事でした。しかし、映画を観て、実際に映像をみる事により、鮮明に私の中にイエス様の十字架が入ってきました。映画館で人目もはばからず、号泣してしました。そして、心の中で映画が終わるまで、「ごめんなさいとありがとございました」と言っていました。

 

 映画で観たものは、本当に悲惨なものでした。聖書で読んでその時に何が起こったのか知っていました。しかし、私の想像をはるかに超えるものでした。実際にはこの映画よりもっと悲惨なことがそこで起きていたのだと思います。

 何も罪を持たないイエス様が、人に殴られ、唾をかけられ、罵られ、蹴られ、ムチで打たれて、傷だらけになり、それでも十字架を背負い、ゴルゴダの丘を登られ、とても太い釘を両手両足に打ち付けられ、十字架にかかられるのです。苦しむ必要のない方が、痛くて、苦しくて、とても辛い試練に会われるのです。


 それを観て、私は「何で神様はひとり子であるイエス様をこんな苦しみに会わせんねん。そんな必要ないやん。罪もなく、清い方が、何でこんな悲惨な目に合わないとあかんねん」と思いました。そこで、罪も汚れもないイエス様が、この苦しみあったのは、他の誰でもない私のためだと、気づかされました。


 もし、イエス様が、この苦しみにあわれず、十字架にもかからなかったら、私がその罪を背負っていたかもしれないと思うと怖くなりました。独り子であるイエス様を、私を救うために、十字架にかけて殺したことを知り、神様の大きな愛を知りました。私のために、ひとり子であるイエス様を殺す、それほどまでに神様の愛ってとても大きいことを知りました。

バプテスマを受ける決心

 神様なんか関係ないと自分のためだけに生きていた人生を問われ、とても悲しくなりました。「ここまで私のことを本気で愛してくれてるんやったら、その愛に本気で応えたい」と思い、イエス様を自分の救い主と信じ、バプテスマを受け、神様のために本気で生きる決心をしました。バプテスマを受ける決心を牧師に伝えると、「親に受洗したいことを話しなさい」と言われました。


 私は、母と、自分の心の内や考えていることを話す経験が少なかったこともあり、洗礼を受けたいことを母に伝えることがとてもハードルが高く、伝える前はとても緊張していました。しかし、伝えないと、前に進んでいかないので、意を決して、母にバプテスマを受けたいことを伝えました。それを聞いた母は怒り出し、「まだ未成年、すぐに辞めるんじゃないか、今受ける必要はないんじゃないか」と反対しました。


 しかし、私は諦めずに、毎日祈り、母に「バプテスマを受けたいねんけど」とそのことだけを毎日神様に祈りながら、伝えていました。


神様が、母の心を変えてくれた

 その年の7月に、私を教会に連れて行ってくれたお兄さんの結婚式があり、母もその人のことを知っていたので、結婚式に一緒に行く事になりました。結婚式で牧師から語られたのがコリント人への手紙一13章でした。メッセージの中で、「いつまでも信仰と愛と希望は残る」と語られました。

 次の日、母に結婚式で語られた御言葉と「信仰はいつまでも残るよ」と伝えると、それまでは反対していた母が、嘘のように笑顔でいいよと言ってくれました。

 

 私はただ祈って、母に「バプテスマを受けたいねんけど」と伝えただけだったのに、神様は私の祈りに応えてくれ、母の心を変えてくれました。神様は今も生きていて、私の祈りを聞いて下さるんだと確信させられました。2004年の8月1日に洗礼を受けることがでました。

 

イエス様に出会う前の自分

 イエス様と出会う前、私は、とても自己中心的な人間でした。人との関わり方がわからず、どうやって人と接したらいいのかわからず、しかし人に関心を持ってもらいたくて、人の傷つくような言葉ばっかり発していて、周りの人から嫌われていました。

 しかし、神様だけは、私が頑張って注意を引かなくても、私の側にいつもいてくださって、とても大きな愛で私のことを温かく包んでくれる。本当にそのことが嬉しかったです。そして、少しずつですが、人の気持ちがわかるようになり、人への配慮を覚えていきました。神様は罪まみれで、汚かった私を決して見捨てなかったのです。

 

​神様は生きておられる

 この証を書きながらその当時のことを振り返ると、神様の御手の中に全てあり、神様の一方的な憐れみにより受洗まで導かれたのだと思わされます。バプテスマを受ける前、母に反対され、それでも祈る中で、神様が母の心を変えてくださり、また、私の祈りをちゃんと聞いてくださり、バプテスマを受けることができた。

 神様は生きて働かれている、そして祈りが聞かれていく経験ができたことは、私の信仰の基盤だと改めて思わされました。

救いの証し: 概要
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